かつて誰かの身近な存在だった廃材を、 新たな視点でアートに昇華させる
文:湊屋一子
ある木目込み人形作家さんの取材に行った時のこと。作家さんが人間用の着物を広げて、矯めつ眇めつしている。「この着物はお客様の思い出の着物なんです。もう着ることはないけれど捨てたくない。でも死蔵していては着物がかわいそう。そういう思い出の着物を人形の着物にして飾りたいというご依頼で」とのこと。しかし人形と人間ではサイズが違う。人形サイズにしたときに美しい柄ゆきを探して、着物を眺めるのだという。完成した人形を見たお客様から「こんな素敵な柄、ありましたか?」と言われることも多い。形を変えることで、元の着物の隠れていた美しさが再発見される。形を変えたことで、着物は廃物にならずに生かされる。
今なら「SDGs」というフレーズが出て来る取材だったろう。だが私はあえてそれは書きたくない。結果的にそうだとしても、作り手はそれを意図していないし、「捨てられるもの・捨てられたものを使って作られているから、環境に配慮したSDGs」というくくり方は、キャッチーなのはわかるが、いいかえれば雑な話で、その作品が素晴らしければ、そこに時代のお墨付き的な“付加価値”は必要ない。
という回りくどい「SDGsって言わないぞ」という宣言から、廃材アートの話をしようと思う。石田真也さんの作品は、無機物でありながら、なんというか夜中に喋っていそうというか、生きてる感がすごい。彼が素材として選ぶ廃材(不要となったもの)の持つエネルギーと、それを絶妙な形で生かす石田さんの感性が、無機物を「夜中に喋っていそう」な存在にしているのだと思う。
「自分はキャンバスをはみ出すタイプに憧れてたんですが、人から『枠の中、ルールの中で作るのが得意な作家』と言われて、ああ、そうかもと思いました。素材を一から作るんじゃなくて、気になって手にしたものから『これをどうしたい?』という発想で創り上げていく。そういえばレゴが得意な子どもでした(笑)」
石田さんの作品作りは織物からスタートしたそうだ。
「織物が好きだったというより、服が好きで、糸から布を織るのが楽しそうだと思って。銅線をフォークで織って、それを加工したりもしてました。布を織って、それを切ってまた何かを作るのが楽しい。布に限らず、何か完成したものを壊すのって、ちょっとドキドキするけど楽しかったりもするじゃないですか。ものづくりだけじゃなくて、自分の考えとかも、こうだと思ってたことが破壊されるのは、けっこう快感なんですよ。そこから自分を発見するというか」
やがて壊れたもの、不要になったものに面白さを感じるようになり、それらを素材に作品作りを始める。公募展などに応募するも、落選ばかりだった石田さん。それでも自分が「これは楽しい!」「これはいい!」と思う作品をネットで公開したり、紙のポートフォリオを作って、会う人に見せたりし続けていた。
そんな中、石田さんのエポックメーキングな作品と言えば、移動式祭壇だろう。多くの人が思い浮かべる祭壇とはおよそかけ離れたビジュアルのこの作品は、しかし見る人に何とも言えないなつかしさを感じさせる。
「アジアを旅していた時も、いろいろ廃材拾ってたんですが、街中で出会ったちょっと悪そうな子たちに『自分の神様は何?』って聞かれて、『おっ!』となって。いませんて答えるしかないんですけど、彼らを見てて、自分の神様もってる人って強いな、と思ったりしたことから、祭壇に興味をひかれるようになっていきました。そういうところでみんなから拝まれてるお像って、日本のシュッとした仏像と違って、汚れてたりベタベタしてたりするんですよ。ビックリしました、これ拝んでるのかと。でもすごくみんなに親しまれて大事にされてる。そのあたりから、廃材拾うことと移動式祭壇がつながっていきました」
廃材には、多くの人が懐かしさを感じる。それはかつて、誰かの身近で使われていたものだからだ。
「生活廃材で創られている作品だから、誰でも自分に接点のあるものが一つは見つかると思う。本当ににおいがするわけじゃないんですけど、そのものを目にしたときに、その時の景色とかにおいとかが一気にフラッシュバックして、時間を超えることができる。僕が廃材を集めてると、子どもが自分のおもちゃをくれたりするんですよ。僕の作品に自分の大事にしているおもちゃを貼ってくれたり、自分のおもちゃがどこに使われてるか、見に来てくれたり」
自分とそのモノとの関係は終わっていても、名残惜しい、そのモノと過ごした時間は忘れがたい。だがそう思っていても、人はそれをだんだんと忘れていく。廃材を使った石田さんの作品は、忘れていた「あの時の思い」と思いがけず再会する、そんなタイムカプセル的な存在でもある。
「作品が何に見えるか、どう見るべきかは、僕自身は『これはこうです』と言わないで、余白を残しておきたい。その人その人でどこに目が留まるかは違っていい。どんな風に見えるかを楽しんでもらいたいんです」
廃材は時間を超えるだけでなく、場所も超えていく。
「ごみにも土地柄があるんです。それを移動させて、別の場所でまた新しいものに作り替えるのも楽しい。50年近く前に廃校になった校舎に残っていた、当時の生徒が描いた自画像なども、寄贈していただいてとってあります。こういうものを作りたいから、こういうものを集める、のではなく、手元に集まってきたもの、とにかく面白そうだと思って拾ってきたものを眺めているうちに、手が動き出すんです」
とはいえ、石田さんにも『こういう廃材が欲しい』というピンポイントな欲もある。
「手に入らないんですけど、公園遊具とか、直径1メートルのフルネルレンズとか。このサイズのフルネルレンズは、昔、灯台で使われていたんですよ。今の技術では必要としてないので、新しい灯台では使われていない。使われていれば、交換するときに廃材として出て来るんですが。ですので入手のチャンスがあるとすれば、古い灯台を建て替えるときくらい。こういう風に欲しいものがあるときは、あちこちで言うようにしています。どこで誰が思い出して、話を持ち込んでくれるかわからないので」
何かに使いたいからではなく、とにかくいいなと思った廃材を集めておくのが、石田さんのインスピレーションの元。
「めちゃくちゃいい!と思って拾ったゴミって、いざ何か作ろうとしたときにはまらないことも多いんです。何でもないもののほうが、ほかのものと組み合わさったときに、ポテンシャルを発揮することもある。そのへんもまた面白いんですよ」
作品を展示場所に運び込んでから、現場のノリでそこに合うものを足していくこともあるそうだ。
「そういう意味で、ラフォーレ原宿での展示は面白かったです」
2024年、原宿のシンボル的存在であるファッションビル、ラフォーレ原宿で作品を展示したことを、石田さんはこう振り返る。
「インスタグラムで僕の作品を見てくださっていたアートディレクターのイチローさんからお声がけいただいたんですが、僕はラフォーレ原宿って名前くらいしか知らなくて(笑)。滞在制作ができたら、それはまた面白かったと思いますが、今回は自分がイメージしたラフォーレ原宿で作品を創りました」
ARTIST:石田延命所 / 石田真也(@shinya.ishida)
PRODUCTION:Blue Marble(@newenergy.ooo)
ART DIRECTION:ICHIRO NAKAZAKI (@ichiroinsta)
イチローさんとの打ち合わせで、ラフォーレ原宿で出た廃材を使えたら面白いのではないかというアイディアもあったが、大変すばらしいことなのだが、ラフォーレ原宿は資源管理がきちんとされているため、なかなか「これだ!」という廃材が出ない。そこで「石田さんが心惹かれた廃材を原宿に移動させるとどうなるのだろうか?」という視点で、作品作りを進めることになったという。
「クライアントさんの方がここで提示したいラフォーレ原宿のイメージとか、いろんな面で要望や制約ももちろんあったんですが、すごく面白い仕事でした。イチローさんにはクライアントさんと僕の間に入って、いろんな調整をしていただいて、すごくありがたかったです」
普段、自由に作品を作っているアーティストには、こうしたクライアントとの折衝は苦手という人も多い。
「イチローさんは僕のやりたいことをちゃんとわかっててくれたから、すごく助かりました。自分で直接やり取りしてたら、クライアントにうまく伝わらなかったと思う。アートディレクターさんと一緒に仕事をするときは、思ってることは全部言って、無理だったらどこか落としどころを考えます。『自分を通すのが大事』と思っていた時期もあったけれど、海外に行ってみて、思ったようにいかないことがたくさんあって、そういう時、自分がこうしたいってことを通すのが大事なんじゃなくて、あなたとコミュニケーションしたいんだってことを伝えるのがまず先で。この人を信じてみようと思ったら、自分のやりたいことを全部話して、預けてみようという風に変わってきました」
アートディレクターが介することで、今までの自分のアンテナには引っかかってこなかった展示場所との出会いもあるという。
「アートディレクターさんによって、ご紹介いただける場所って違うので、そこでまた違う人たちに見てもらえるチャンスがある。気の合うディレクターさんに出会えると、また世界が広がって、面白い作品作りができるなと感じています。今は次の展開が楽しみです」
石田 真也
1984年 和歌山生まれ
2008年 大阪成蹊大学芸術学部テキスタイル学科卒業。
「みえない力」をテーマに、主に廃材(不要となったもの)を素材にし、作品を制作している。
モノが生まれてから無くなるまでのサイクルに僕が介入することで、そこに小さなズレが生じる。その狂ったサイクルに何か可能性はないだろうか。
国内外を問わず訪れた土地で集めた廃品や漂着物、人が不要となった物を主な素材として立体作品を制作している。
@shinya.ishida