第97回 装苑賞『装苑賞』&『NEW ENERGY特別賞』W受賞! 上村 英太郎氏 × NEW ENERGY コンセプター渡邊 睦 対談 -後編
「若い才能を発見し、世に送り出す」の精神のもと、1956年に創設されたファッションコンテスト「装苑賞」。Blue Marbleはそのフィロソフィーに共感し、昨年より【NEW ENERGY特別賞】を設置し参画しています。本年度、第97回装苑賞において「装苑賞」と「NEW ENERGY特別賞」のダブル受賞という快挙を果たしたのは、弱冠22歳の上村英太郎氏。ここでは、NEW ENERGYのコンセプター兼クリエイティブディレクターである渡邊 睦が上村 英太郎氏を紐解いていきます。
*対談中の話者の敬称は省略させて頂きます。
―本質を追求すること、その冒険は止めないで―
渡邊)今の時流としては、自身で「感じる」ことよりも、直ぐに答えに辿り着く事をよしとする傾向が強いように感じています。本質に向き合う事を避けているような気がする。でも上村くんは、本質を突き詰めようとする、ある種の感性が群を抜いてる感じがします。本質を追求する姿勢というか、思考力、その冒険は止めないで欲しいと思う。
上村)まさに今、私は服を着るという事の本質を探究している段階だと思っています。この答えに辿り着いた時、自身のやるべき事、進むべき道が見えるのではないか?と想像しています。
渡邊)ところで、夢ってありますか?
上村)私は、夢というと漠然としてしまうイメージで、そこに到達する事を前提に「目標」は持つようにしています。
そういう意味で装苑賞の受賞という学生時代の目標を達成した今、次の目標は自分のブランドを立ち上げて、LVMHブライズで大賞を取ることです。
あっ、夢あります!自分にとって夢は楽しい事が前提なんですが、ファンである、パリのサッカーチーム「パリサンジェルマン」の協賛企業になってみたいです。私がファッションデザイナーとしてパリを拠点に活動し、地元であるサンジェルマンの企業サポーターとして、チームを支える事が夢ですね(笑)。
渡邊)いいね!夢があるね。という事は、海外に拠点を置く想定もしているの?
上村)はい、それはマストだと考えています。日本からでは見えない景色が沢山あるんだろうな、と想像しているので。私は常々ライバルの必要性を感じていて、自分にとって最大のライバルは世界!ライバルを探しに、海外に乗り込みたいと思っています(笑)。
渡邊)装苑賞を取った事で何か変わりましたか?
上村)はい、とても変わったと感じています。一番大きな変化は周りの環境、私を取り巻く方々の意識が違うというか、情熱のある方々が回りに集まってくれるようになったと感じます。今回の装苑賞で最終選考に残った仲間たちも良い出会いだと感じますし、先生方にしろ工場の方にしろ、自分の想いに対して協力するよ、と声をかけて頂ける方が本当に増えました。私は、周りに自分の思いを伝えるのが上手なタイプでなかったんですが、作品や、こうやって話をする機会を得た事で、自分の思いに共感頂けるきっかけになっているのかも知れません。
渡邊)装苑賞の作品を通して、上村くんが伝えたかった事が伝わった、という事だね。今回、ダブル受賞だったのも、作品の圧倒的な力だもんね。さっきも話していた、上村くんのメッセージを伝える媒体としての作品が、その力を発揮したという事だね。
上村)もともとダブル受賞を狙いにいったので、自分としては一つの目標を達成した、という感覚です(笑)。
渡邊)今日お話しを聞いて、私が上村くんに感じたのは、今までの布石をしっかバネにしている事。医師を目指し、この目標は一見途中下車のように見えるかもしれないけど、そうでは無かった。しっかり自身で手綱を握り、服飾学校では生徒会長、今回の装苑賞とNEW ENEREGY特別賞のダブル受賞、狙ったものを手に入れました。これからも、その行動力と精神力を持って、独創的な美への探求で世界を驚かせて下さい!
上村)はい、頑張ります。今日はありがとうございました。
Profile
渡邊睦
NEW ENERGY コンセプター兼 クリエイティブディレクター
2002 年に渡仏し、帰国後に 合同展 rooms を設立。 2009 年「繊研賞」、2011 年「毎日ファッション大賞 内 鯨岡阿美子賞」を受賞。 2022 年に独立し、Blue Marble を旗揚げ。
上村英太郎(かみむら えいたろう)
装苑賞/NEW ENERGY特別賞 受賞
2001年生まれ、山口県出身。2020年、香蘭ファッションデザイン専門学校 ファッションデザイン専攻科入学。2023年、同専門学校卒業。
「若い才能を発見し、世に送り出す」 それが装苑賞の精神です。 装苑賞は、昭和 31 年に、日本で初めてのファッション界の新人賞として創設されました。この賞は 戦後いち早く、デザインの重要性と、新人デザイナーの才能の芽を育てることの必要性を感じた先達の知恵から生まれました。その後 60 年以上の永きにわたり、多くの審査員の先生方の御協力を得て97回で96名の受賞者を世に送り出してまいりました。